葛飾北斎 復刻浮世絵「神奈川沖浪裏」

神奈川沖浪裏とは?
 

1831年(天保2年)頃に刊行されたと推測される葛飾北斎の連作錦絵作品『冨嶽三十六景』の中の1点で、神奈川沖の荒れ狂う海の様子を大胆かつ綿密に表現した北斎浮世絵の代表作です。
画面中央に配される遠景の冨嶽(富士山)は、画面前景で繰り広げられる大波と対比され、動と静、近と遠、変化と不変という意味でこの図の主要なテーマとなり、そこには北斎の深く近代的な精神性を見出すことができます。
また強弱を極端なまでに強調した激しい大波と、その波の連鎖は画面の中で一体となり小舟に襲い掛かり、船頭たちは舟べりにただしがみついているだけです。自然の圧倒的な力の前では抗うことが出来ない人間の無力さと、生き物のように襲い掛かる大波の表現が、他では類を見ないほどのスケールを見る者に感じさせます。



世界への影響  



北斎は、1998年に米国「ライフ」誌が企画した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に唯一の日本人として選ばれています。
「冨嶽三十六景」及び「北斎漫画」は多くの印象派画家に影響を与え、いまや世界の「北斎」となり、浪裏のデザインは日本らしさの象徴として日本のみならず海外でも高い人気を得ています。

ゴッホ 星月夜
 

後期印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホは弟テオに宛てた手紙で浪裏を激賞し、影響を受け『星月夜』を制作。また印象主義音楽の大作曲家ドビュッシーは本作に着想を得て交響詩『海』を作曲し、『考える人』で有名なオーギュスト・ロダンの弟子、女性彫刻家カミーユ・クローデルも神奈川沖浪裏に発想を得て『WAVE』を制作しています。


ドビュッシー『海』のスコアの表紙 カミーユ・クローデル『WAVE』




『冨嶽三十六景』とは?


初版は1823年(文政6年)頃より作成が始まり1831年(天保2年)頃から1835年(同4年)頃にかけて刊行されたと考えられています。「冨嶽」は富士山を指し、各地から望む富士山の景観を描いています。当初は名前の通り、主版の36枚で完結する予定でしたが、作品が人気を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になりました。この追加の10枚の作品を「裏富士」と呼びます。

『冨嶽三十六景』はいつの時代も日本人の心の中にある富士山の姿を東京や神奈川、千葉、静岡、山梨など各県のある場所からみて描いています。

初版発表当時の北斎は72歳と晩年期に差し掛かっていましたが、遠近法が活用されていること、当時流行していた「ベロ藍」ことプルシャンブルーを用いて摺られているなど北斎の飽くなき挑戦を感じることが出来ます。『冨嶽三十六景』などの浮世絵風景画は当時「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立しました。「凱風快晴」や「山下白雨」のように、富士山を画面いっぱいに描いた作品から、「神奈川沖浪裏」や「甲州伊沢暁」のように遠景に配したものまであり、四季や地域ごとに多彩な富士山のみならず、各地での人々の営みも生き生きと描写していることが人気の一つとも言えます。




浮世絵スタジオこだわりの復刻浮世絵


 

人間国宝・九代目岩野市兵衛氏が漉く和紙に顔料をきめ込むことで生まれる鮮やかな色彩。現在市場で流通している和紙のほとんどが漂白剤を用いて和紙を白くしています。本作で使用した越前生漉奉書(紙漉:人間国宝九代目岩野市兵衛)は、昔ながらの製作方法に基づき漂白剤を使用することなく可能な限り手わざにて白くしていますので、和紙の表面上にチリなどが残ります。漂白剤を使用すると和紙が痛み劣化しますが、本和紙は1000年持つとも云われています。
勢い溢れる力強い浪裏を更に引き立たせるブラックの額装でご用意いたしました。

匠たちが各々の技を結集して制作した本作品を末永くご愛蔵いただけると幸いです。